夢と現実の間の不思議な体験 断捨離⑧

寝不足と疲れの中、とにかくこの不要な荷物を
処分しなきゃ、弟を助けなきゃ!
もう完全におかしな思考に入っています。

そのときの私の思考はこうでした。

私が結婚後、この団地に母と祖母が
引っ越してきて20年近く、そういえば、
生ゴミ以外、母がゴミ捨てに行ったところを
見たことがなかった気がする。

ずっとずっと物を溜め込んでいたんだ。
なぜ?
どうして?

潜在意識にある長年の寂しさを紛らわせるため❔
物にぎっしり囲まれて、開け放した箪笥や押入れから、あらゆる浮遊霊が、眼には見えないけど
バンバン私の存在を警戒してくる。
肩と眼がガチガチに痛い。

端から見たら、不要なものに見えるものが
母には捨てられない大切なものになっていた。

10年前の賞味期限切れの、使いかけの素麺
の袋も、
私が幼稚園に着ていた
毛糸のスカートをほどいた古びた毛糸の玉も、
編むから捨てないで!
山のように引き出しにしまいこまれている。
もったいない❗食べるのよ❗
捨てないで!捨てないで!
母も泣いている。

私はどうしようもない哀しみにくれて
泣きながら、
引き出しに押入れにと、多量すぎる荷物を
部屋が、呼吸出来るように、引っ張り出していた。

ベランダも、ありとあらゆる不要なものが
ぎゅうぎゅうと詰め込まれ、
呆然となった。

孫の私たちには優しかったが、
厳しい姑に気を使いながら、
殆んど新婚生活なんて
なかったと母から聞いていた。
確かに、母が笑っていた記憶はあまりない。
子供の頃、大晦日も、
みんなが紅白歌合戦を見ている中で、
ひとり深夜まで、おせちのしたく、正月の準備と、
寒い台所で支度をしていた母。

父の仕事がうまくいかず、家計の助けにと
遅くまでパートに出てた母。
私が記憶するには、のんびりゆったりしていた
母の姿なんて見たことないくらい
働きづめでした。

父と楽しい思い出もないまま、

私が16才になり、翌年雪が降る頃、
半年の入院の末
お腹が腹水でパンパンにかちかちに脹れたまま
大腸癌で亡くなりました。

高齢の祖母、私を含めた三人の子供を抱え、
唯一頼れる存在の父を亡くした母の哀しみは
いったいどれ程のものだったのだろうか。

どんなに悲しみがあっても、現実は、
独りで明日からもはたらいて、
祖母や子供三人を
食べさせ育てなくてはならない。

子供だった私は、その時の母の哀しみを
理解するには幼すぎました。

それからも益々母は働きづめでした。
結婚以来の哀しみを心にしまいこんで、
考えないようにして。

一度も虫干ししたことがないシミのついた
沢山の着物、使いもしない冷たく重たくなった
蒲団や毛布。浮遊霊や沢山の荷物が、
母を極度の寂しさから、遠ざけてくれていた。

でも、仏壇をはっと見てみると、
確かに花とご飯は、あげてあるのに、
埃をかぶって、灰だらけ。
下の扉を開けると、蜘蛛の巣、カビ、
これが先祖をまつる仏壇とは思えないくらいの
酷いさまでした。

でも、数十年、私を含め、誰も気づかなかった。
母は、無意識にこの常態が心地よかったのだ。
浮遊霊の方たちが、寂しい母を守ってくれていた。

しかし、冷たい空気の淀んだこの部屋には
このままでは、私の予期したとおりになってしまう。
この部屋と仏壇、
空気を通わせなきゃ。どうしても。

娘に手伝わせ、とんどんゴミ袋に捨てていきます。
ものが溢れて足の踏み場もありません。

その時写真を沢山撮りましたが、
どれも霞がかかって、あまりに怖かったので、
後日すべて消去しました。
周りや友達に見せたあとで。

お母さん、整えよう‼こんなに溜め込んで、
捨てなきゃダメだよ‼
これを捨ててきて‼
はいと渡しても、
母もおかしなところに意識があるので、
ゴミ袋をどうしても外まで出せません。
それどころか、またそれを元に戻そうとします。

誰かがそうさせているかのように。

この繰り返し、私たちだけじゃ母が戻そうと
して同じことの繰り返し。

このままじゃどうしても進まない‼
どうしよう‼

娘と途方に暮れたとき、

おはよう‼どうしたの?何があったの?

近所の母の友達である奥さんが、
散歩の通りがかりに声を掛けられました。

助かった‼

私は咄嗟にそう思いました。
続く。